ご祭神
賀茂神社
主祭神 : 別雷命 (ワケイカズチノミコト)
御神徳 :大自然を支配せられる神。社会正義、秩序、生業の確立、平和、福祉、厄除け、方位除災、貫徹、雷の神威から電気の守り神として信仰厚い。
京都上賀茂神社より勧請。
賀茂別雷神は大自然を支配せられる雷神、菅原道真神は別称天神と云い、両雷神様の神威によって萬事「貫く」ご神徳あり。災難災厄除清祓・交通安全事故除清祓・試験合格・必勝祈願・家内安全・家運隆昌・家業繁栄・商売繁盛・諸願等、随時祈願予約受付けております。
合祀神社 (ごうしじんじゃ:合わせ祀るという意)
賀茂神社 天満宮は、別雷神と菅原道真神を主祭神とし、他五社を合祀しています。
ここでは、各合祀神社についての由緒を記します。
- 祭神
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倉稲魂命
(うがのみたまのみこと)
- 由緒
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稲荷大明神、或いは五社大明神と称えていた神社で、慶長6年中村一忠公が米子城主として入国の際に、駿河より米城府北廓内の曲松に勧請されました。その後、元禄4年、城主荒尾但馬守成重公が片原町(現在の天神町)に奉遷し、同14年社殿を改築、社領を寄進したと伝えられます。以後歴代城主により厚く護持、崇敬を受けました。曲松(現在の内町)の旧社地には元稲荷と称し、小祀が建っています。明治元年、社名を稲荷神社と改称し、昭和36年賀茂神社に合祀されました。
- 祭神
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菅原道真命
(すがわらのみちざねのみこと)
- 由緒
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古くより天神町に鎮座し、庶民の崇敬を受けるが由緒は不詳。「7月25日の例祭は神輿町中残らず巡幸し、夜は海上神事あり。府内の老若男女天満のすずみと称して、月の内より数多の船四方に漕ぎ違い、琴、三味線をもって舞い歌うもあり。酒肴を商う船漕廻り、陸には海辺に床几を設け氈を敷いて賑わう有様、浪花天満の納涼をうつして其のさま筆に尽しがたし」と米府神社由来記に記載され米子では盛大な夏祭りとしての言い伝えがあります。明治元年、北野神社と改称し大正4年稲荷神社に合祀されました。昭和36年賀茂神社に稲荷神社が合祀される際、米子唯一の天神様として尊崇厚く、天満宮の名を残し、合祀後は「賀茂神社 天満宮」とされました。
- 祭神
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須佐之男命
(すさのおのみこと)
大已貴命
(おおなむちのみこと)
少名彦那命
(すくなひこなのみこと)
- 由緒
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創立年代は不詳。往古より荒神宮或いは、八将荒神宮と称え、万能町に鎮座。
元和3年鳥取城主池田公より社領の寄進があり、歴代米子城主には手厚く護持され尊崇を受けてきました。古くは境内に社殿、神門、神楽殿を備え、敷地は広く池もあり、大木が生い茂る庶民の崇敬厚い神社だったと伝えられます。明治元年萬能神社と改称されました。しかし、昭和32年1月27日火災により社殿を焼失し、昭和48年4月賀茂神社に合祀されました。
- 祭神
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事代主命
(ことしろぬしのみこと)
- 由緒
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尾高町中央南側に東西3間半、南北23間の社地に鎮座し、元は以北に在ったものを遷座したと伝えられます。
旧正月10日の祭礼「十日えびす」は参詣者はなはだ多く、米子の正月名物の祭りだったと言い伝えられています。明治元年蛭子神社と改称。大正4年稲荷神社に合祀され、昭和36年賀茂神社に合祀されました。
- 祭神
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誉田和気命
(ほんだわけのみこと)
- 由緒
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元は城山八幡台に鎮座した神社であったが、慶長年中、米子城主中村公により、賀茂神社隣地(現在、金光教が在る所)に奉遷されたと伝えられます。
米城鎮護の社、軍神として威霊を尊崇され、主に士族の神として崇められていたそうです。
明治元年湊山神社として改称。後、賀茂神社に合祀されました。
- 祭神
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天照皇大神
(あまてらすおおかみ)
- 由緒
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東町に鎮座する社で、境内に大榎があったと伝えられます。
いつしか榎大神宮と称えられるようになり、町民の崇敬を受けたそうです。
明治元年に萬能神社に合祀され、後、賀茂神社に合祀されました。
- 祭神
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須佐之男命
(すさのおのみこと)
- 由緒
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米原町に鎮座する社で荒神宮と称え、八十戸程の氏子があり、厚く尊崇されたと伝えられます。明治元年米原神社と改称され、大正5年稲荷神社に合祀されました。
後、昭和36年賀茂神社に合祀されました。